6月は紫陽花の花2012/06/18 21:59

ポップアートなあじさい
OLYMPUS E-5
ZUIKO DIGITAL 25mmF2.8
アートフィルター:ポップアート
撮影場所:長門市油谷向徳寺




梅雨時の6月、目を楽しませてくれる花の代表は何と言っても紫陽花の花。

この花がそこにあるだけで鬱陶しい雨模様も

しっとりと濡れた情景になるのだからやっぱり大した役者なのである。

こんな紫陽花の花はもちろん好きな被写体のひとつで

去年の6月の記事を見てみるとこの花だけを写真のネタに4つの記事をアップしている。

そしてこの花にはアートフィルターもよく似合う。

去年はドラマチックトーン、デイドリーム、ファンタジックフォーカス、クロスプロセスの4つを使ったから

今年はポップアートなあじさいを載せよう。

毒を含むと言われる鮮やかなグリーンをバックに紫の花を散らせて…。

おっと、最近はポップアート+ピンホール効果なんてのもできるんだね。

そういえばあじさいの花咲く季節、

僕は若い頃、この時季があまり好きではなかった。

だけど、思えば一番この国らしい情景が見られるのはこの季節なのかもしれず、

いつしか僕は、こんな季節が少しづつ好きになってきた。

そして今年もまたあじさいの花を撮りに行く。

好みの花の色も、好みの花の形も、毎年少しづつ変わってきて

よく考えてみれば、花を愛でている自分の姿など

10年も前には想像すらできなかったことを思い出し笑いして

歳というものはこうやってとってゆくのだなと思うこの頃なのだった。

斜め掛け2011/10/13 20:46

青い追憶
OLYMPUS E-P1
ZUIKO DIGTAL 25mmF2.8
撮影場所:門司港レトロ





ずいぶんと忘れていたことをちょっとしたきっかけで思い出すように

引き出しの奥から長いネックストラップを取り出して

久しぶりにE-P1を肩から斜め掛けして街を歩いた。

レンズは17mmと25mmのパンケーキ2本…。

E-P1を持ち歩くスタイルはやっぱりこれだなと瞬時に思い出した。

帽子をちょっと斜めにかぶるのと同じように

持ち方ひとつ変えるだけで気持ちが変わるものだ。

だけど撮るものなど大して変わるわけもなく、

気がつけばいつもの場所からいつもの風景を撮り、

撮るものは変わらないけど少し画角を変えて、

画角を変えたらちょっぴり色合いも変えて、

色合いを変えればそれだけでまた気分も変わる。

お気に入りのおもちゃで遊ぶということはこんなことなのかも知れず、

何度も訪れるお気に入りの場所とはこんなところなのかも知れず、

つまるところ、人生とはこんなことの繰り返しなのかも知れず、

秋が来るたびに色褪せた絵が撮りたくなるのは、

秋が来るたびにまた秋の心を思い出すが故のことだ。

お雛さま2011/02/07 21:45

おひなさま
OLYMPUS E-520
ZUIKO DIGITAL 25mmF2.8
撮影場所:北九州市門司港レトロ




前の週末に早春の花を求めて門司にある植物園を訪れてみた。

今年は例年に比べて春の花の開花が遅れているようで、昨年同じ頃に来たときよりも水仙や梅の咲き具合が今ひとつのように感じられた。

それでも紅葉のシーズンから植物の撮影はご無沙汰だったので久しぶりの花の撮影を2時間ほど楽しんできた。

そしてランチタイムはお決まりのレトロな街並み…。

ここで名物の焼きカレーを食べるのが、実はささやかな楽しみになっている。

焼きカレーマップを見ながら初めてのお店に入り、出された料理がおいしければ本当に楽しいお散歩だったということだ。

ここ、門司港レトロの街並みはぶらぶらと歩きながら食べたり撮ったり座ったりできるお気に入りの散歩道なんだ。

そして今年も「ふぐと灯りとひなまつり」というイベントが始まっていた。

で、去年と同じようにお雛さまの写真を撮ったり、ケーキを食べたり、ベンチに腰掛けて船を眺めたり…。



毎年同じ時季に同じ場所に来て同じものを見て、そんな場所がいくつもあって、週末の休みだけでは足らないほどそんな場所がいくつもあって…。

そんな場所を巡っているうちに一年なんてあっという間に過ぎてしまって、

なんだか遊び急いでいるような気がして、そんな焦りのような心情がどこから湧いてくるのか自分では気がついていて、

気がついているくせに気がつかないふりをして、僕は時の流れの中でもがいている…。



年に一度会うお雛さまは今年も同じ顔をしていた。

でも僕は去年と同じ顔じゃない…。

年を仕舞い、歳を重ね…2010/12/29 23:28

初詣
OLYMPUS E-520
ZUIKO DIGITAL 25mmF2.8
撮影場所:伊勢神宮門前



今年も残すところあとわずか…。

初詣の人混みに押されながら始まった今年だったが、終わってみればいつもと同じく流されたように過ごした一年だった。

流されるように生きるということは、あるいは情けない生きかたのようにも思えるけど、実は弾き飛ばされないように流されるというのもなかなか難しいことなんだ。

流れを変えられるほどの強靭な力を持っているのでなければ、流されるままに少しずつ舵を切りながら自分の生きたい方向へ進む術を身につけたほうがいい。

人混みの中で「これだけ大勢の人の願い事を神様はちゃんと間違えずにわかってくださるのかな?」などと不謹慎なことを考えた今年の初詣だったけど、「大きな幸運はいらない代わりに、立ち直れないほどの不運に見舞われないように」と願った言葉は、ちゃんと神様に届いていたんだなと、一年を終えた今考える。

今年も押されながら無事に神様の前にたどり着いたら、去年よりはちょっと声を大きくして願い事をしてみようかと思っている。




―それではみなさん、よいお年をお迎えください―


森閑2010/11/19 00:22

森閑
OLYMPUS E-520
ZUIKO DIGITAL 25mmF2.8
撮影場所:山口市香山公園



山口の香山公園といえば、国宝瑠璃光寺五重塔が有名で、ほとんどの観光客はここに着いた途端にその姿を見つけ、塔を見上げたり写真を撮ったりして観光を楽しむ。

日本庭園を前景に持つ五重塔は、京都醍醐寺、奈良法隆寺のそれとならんで日本三名塔を自負しており、梅や桜など四季折々の花を脇役に従えて、室町の世から500年以上の風雪に耐えながらこの地に立ち続けているのだ。

最近、この五重塔の前にある池にカワセミが姿を現すことがあって、それを狙うカメラマンが大砲級のレンズを構えて一日中居座っていたりする。

梅が咲いたといってはカメラを構え、桜が咲いたといっては花越しの塔を見上げ、とにかくいつも賑やかな場所なのだ。



そんな香山公園の一画は毛利家の墓所になっていて、明治維新時の藩主毛利敬親などの墓があり、萩東光寺、大照院のような圧倒される数ではないものの、石灯篭が並んでこの墓所を守っている。

五重塔の辺りの賑やかさがうそのように森閑とした空間だ。

賑やかな観光地の一画に存在する真空地帯のような空間に身を置くと、ふと、そこがまるで時空の入口であるような錯覚を覚える。

近くには討幕の密議の舞台となった枕流亭や露山堂などの建物もあり、幕末の長州藩士が今にも物陰から姿を現しそうな佇まいなのだった。

季節の中で2010/10/31 23:06

里山の秋
OLYMPUS E-P1
ZUIKO DIGITAL 25mmF2.8
アートフィルター トイフォト
撮影場所:山口市徳地町重源の郷




秋が深まり、今年もそろそろ紅葉の季節になってきた。

季節の便りを聞くために、年に何度か訪れる場所があって、毎年似たような季節に似たような場所に足を運ぶ。

その風景を見なければ次の季節を迎えられないような義務感に似た気持ちを抱いて、毎年、似たような場所を訪れる。

そして変わらぬ季節の便りを目にして、今年もまたその風景を見ることができたことに感謝するのだ。




若いときは、常に新しい景色を求めていた。季節が巡る度に新しい風景が見られることを望んでいた。

今は…、毎年、同じ時季に同じ場所で同じ風景が見られることを望んでいる。



   -もう何十回も見られる景色じゃないんだよなぁ-



そんなことを考えると、目の前にある見慣れたはずの季節の便りがとても愛おしく感じられるんだ。

哀愁とか郷愁とか…2010/10/09 16:32

背中
OLYMPUS E-520
ZUIKO DIGITAL 25mmF2.8
撮影場所:北九州市門司港レトロ


どうも精神状態がよろしくない。

例の「君がいた日々」を未だに引きずっているのは明らかなんだけど、加えて、夕暮れが早くなった秋の日の夕陽を見送るときのような寂しさを、僕は最近ずっと持ち歩いているような感じなんだ。
母校のお祭りで思いがけず30年前の自分を思い出したことはすでに御承知の通り…。
ある程度歳を重ねてくると、過去を振り返って懐かしむということはとても心地の良い誘惑で、下手をすると想像の世界と現実の区別もつかず、甘い感傷に包まれてメロメロに溺れることになる。
だから人々はそんな破目に陥らないために、普段は過去の記憶など封印して今を生きるということに精を出し、前を向いて歩いているわけなんだ。




なんて言ったらいいのだろう。人間にとって、いや、少なくともぼくにとってほんとうに怖いのは、

年老いて、遥かな時間と疲労の厚い壁の向うに夢と情熱に溢れた十八歳を持つそのことではなく、

実は十八歳の自分をそのまま持ちながら年老いるということなのではあるまいか?

自分にも十八歳の時には夢があったと年老いて語ることが怖いのではなく、

そう語りながらもなお夢は消えないというそのことこそ恐ろしいのではなかろうか?と。





「ぼくの大好きな青髭」の中で主人公の薫くんは上のように語っている。
僕に関して言えば、夢も情熱もごく普通に生きてきた分だけ消費していて、十八歳の自分をそのまま持ちながら年老いるということはなかったようだ。
だから恐ろしいことにはならなかったし、普通の人は、たぶん十八歳の自分をそのまま持ちながら年老いることはあまりないと思う。
ただ、今の僕は些細なことがきっかけとなって遥かな時間と疲労の厚い壁の向うに持っていた夢と情熱に溢れる十八歳を思い出し…、
息子を思うような愛おしい気持ちを以ってその時の自分を懐かしみ…、
肉体を現代の世に置いたまま、心だけが忙しなく時空の旅をくりかえし…、
時には現世ではもう照れ臭くて使えない十八歳のpureな愛情を惜しみなくTVの中の少女に捧げ…、
愁嘆場を演ずることなく突然愛する人が消えてしまったことに戸惑い…、
そして秋の空を見上げながら哀愁を感じている。

郷愁、哀愁…、秋の心と書いて「愁」と読むやっかいな文字は、悔しいけれど今の心情を表すのにこれ以上なく最適な表現じゃないか?って思う。
あぁ、本当に秋の心情っていつもこんな感じなんだ。
そしてつくづく思うのは、今年の秋も十八歳の時の空の色とあまり変わってないんだなー、ってことなんだ。ね?

君がいた日々2010/10/01 20:19

門司港レトロの夕暮れ
OLYMPUS E-520
ZUIKO DIGITAL 25mmF2.8
撮影場所:北九州市門司港レトロ

最近ちょっとはまってたドラマがあって、先々週最終回だったんだけど、なにか今も結末を引きずってしまって困っている。
かなり気恥ずかしいので題名は伏せておくけど、まぁ、この記事のタイトルを見たらバレバレだろうね。
ストーリーは不治の病にかかって死んでゆく女の子と、その子を愛する男の子の恋の物語、ある意味、古典的なテーマだよなぁ。今回はあえて原作は読んでない。
で、主演の吉高由里子ちゃんの名演技に引込まれるように最終回まで欠かさず見てたわけで、最終回にこの女の子は死んでしまうんだけど、まぁ、ここまでは涙の最終回ということでよかったんだ。
問題はこの後で、この女の子がこの世の中からいなくなって半年経ったときの家族や恋人や友達の日常が描かれている場面があって、その場面で両親の住んでいる家に吉高由里子ちゃんが微笑んでいる写真が飾ってあるのが何回か映るんだよね。
で、なぜかこの写真が強烈に目に焼きついてしまって、この物語に出てくる彼女の両親も友達も恋人も、それぞれに悲しみから立ち直って新しい生活を営んでいるにもかかわらず、僕は、今も大切なものを失った喪失感を引きずっているという情けない状況にあるってわけなんだ。
このドラマでいうと、僕はこの女の子の父親くらいの年代だから「娘」を失った父親になりきってるのはもちろんだけど、
われわれオヤヂ世代には瞬時に自分が若かった頃の気持ち(残念ながら容姿はそのままなのが哀れなところだが…)に返ることができるという特技があって、
そのせいでちゃっかり「恋人」を失くした男の子の喪失感をも味わっているわけなんだ。
「娘」と「恋人」を同時に失ってしまったんだからたまらない。今はもう抜け殻が歩いているようなもんだね。(笑)
ときどき、エッセンシャルやトリスハイボールのCMで元気でかわいい姿を見るんだけど、そんな姿を見ても、なんかこう生前の思い出を回想しているようでまた切なくなってきたり…。
僕の心の中に強烈なイメージを残して死んじゃった吉高由里子ちゃん。
もちろんそれは演技であり、演出なんだろうけど、ドラマの最後の最後に遺影に写ることによって、残り少ない生命を精一杯生きていたときの姿を僕の心の中に鮮明に焼き付けていったんだよなぁ。鮮やか過ぎる手口だね。
でも僕としてはいつまでもこんな切ない思いを引きずってると日常生活に差し支えちゃうから、できれば早く別のドラマで娘なり、あるいは恋人として生き返って欲しいなぁって思ってる。