タフ2012/12/27 21:31

雪中行軍
OLYMPUS XZ-1
i.ZUIKO DIGITAL ED6-24mmF1.8-2.5
撮影場所:山口市仁保




クリスマスだ、年の瀬だと言いながら、もう明日は仕事納めだ。

そして予想を裏切らず、年賀状書きには手もつけずに

のんびりとブログを更新している自分に、今、少々呆れている。

クリスマスに絡む三連休には全国的に寒波が襲来したようで

僕の住む暖かな地方でも少しの降雪が見られた。

不謹慎であると思いながらも南国生まれ南国育ちの僕は

雪が降れば庭駆けまわる犬のようにじっとしておれず

バイクを引っぱり出して雪の山を見に出かけた。

出発したときには青空だった空模様は

我が街からひとつ山を越えれば薄墨を流したような空の色となり

たぶんその下では今も雪が降っているだろうことは容易に想像ができる。

そしてそこへたどり着いて、降りしきる雪の中、山間へハンドルを切る。

やがてアスファルト舗装が切れて土の道になり、

轍ひとつついていない真っ白な道が目の前の雪のベールの奥へ続いていた。

いつも見慣れた景色だけど、雪が積もっているだけで神々しく感じられる風景の中を

きょろきょろしながら僕はバイクを走らせた。

そしてときおりバイクを停めてカメラを取り出し写真を撮る。

林道を走るときのお伴はXZ-1…。

新しいXZ-2は少し大きくてかさばるので今のところオンロード専用だ。

前にも書いたとおり、ここでXZ-1とXZ-2の住み分けがうまくできているわけだ。

が、こんな雪の日にカメラを取り出すのはけっこう気を使うものだ。

手袋をいちいち外すのも煩わしい。

で、頭に浮かんだのがタフネスコンデジの存在なのである。

また悩みがひとつ増えたわけである。

XZ-2とバッテリーが共通らしいというのも悩みの種なわけである。

ひょっとしたらこのブログにカテゴリーがひとつ、こっそり増えるかもしれないのである。

うーむ…。

風が吹く2012/09/26 20:59


OLYMPUS XZ-1
i.ZUIKO DIGITAL ED6-24mmF1.8-2.5
撮影場所:徳島県三好市落合峠




暑い盛りを過ぎて風が涼しくなると、夜がだんだんと長くなってきて

こんな季節にはがらにもなく極上のラブストリーが読みたくなってくる。

もちろん秋に読むのだから結末は切なく悲しいほうがいい。

ある休日の昼下がり、本屋の新刊コーナーを冷やかしながら暇をつぶしていて

ふと一冊の文庫本の表紙が目にとまり、取り上げてページをめくってみた。

高倉健主演で映画になった物語の小説版のようだ。

そんな物語の中、山頭火が好きな元国語教師が脇役として主人公に絡んでくる。

山頭火の句集を持ち歩きながら旅をする男…。

亡き妻からの手紙を受け取るために旅をする男…。

寡黙な主人公の旅の目的地が、去年の秋にツーリングに出かけた平戸だったという偶然もあって、

おもしろく読ませてもらった後、思いついて山頭火の句集を買ってみた。

山頭火の生誕地まで歩いていける場所に住んでいて

彼が一生を終えた街を故郷に持つ僕としては

山頭火の句集をツーリングバッグに忍ばせて旅に出るもいいなと

さっそく影響されたわけだ。

「この俺が山頭火??」

花を愛でる自分以上に想像のつかなかった自分像だ。

でもこんな自分を見ることができるというだけで

人生、なかなか捨てたもんじゃないと思うのである。

そして、句集を持って旅立つ自分を想像するだけで

退屈な秋の夜長も気がまぎれるというものだ。




さて、どちらへ行かう風が吹く

                      種田山頭火




ツーリングの秋到来である。

賑わい2012/08/23 22:33

賑わい
OLYMPUS XZ-1
i.ZUIKO DIGITAL ED6-24mmF1.8-2.5
撮影場所:徳島県三好市東祖谷名頃




今年も夏のツーリングに出かけてきた。

ひとり、ひと気のない山間を黙々とバイクで走り

夜がくれば天幕にもぐり込んで大地に寝そべる。

そして山と山の間の狭い夜空にばらまいたような

星屑のきらめきをしばし見つめて

やがて風の音だけを聴きながら眠りに就く。

ハンドルの向くままに辿る狭隘な道筋は、かつて平家の落人が歩いた道とも言われ

山の斜面にへばりつくように在る天界の村を眺めれば

街の暮らしに少し疲れたらしい僕の魂が

少しづつ強張りをほぐされてゆくのが実感できる。

怖ろしいほど澄んだ水が流れる川沿いの集落には

窓を閉ざされた小学校の廃墟があって

近くのバスの停留所には大勢の人が賑やかにバスを待っていた。



バスなんて滅多に来ないのに…。

周りを見渡せば、畑で作業をする人、道路工事のおじさん、

縁側でお茶を飲みながらおしゃべりをしているおばちゃんたち、

みんなここで静かな静かな賑わいを…、

まるで旅人を歓迎しているような賑わいを…、

静かに静かに醸し出しているのだった。

そんな歓迎がなぜか心に沁みてありがたく、

ふっと泣き笑いしたくなるような風がそこには吹いていた。

もう秋の匂いがする…。

エフェクト2012/07/13 22:03

海を渡る風のように
OLYMPUS XZ-1
i.ZUIKO DIGITAL ED6-24mmF1.8-2.5
撮影場所:山口県下関市角島




角島大橋を見下ろすこの場所で僕はいつも写真を撮る。

あまり天気のよくなかったこの日は海の色が今ひとつ冴えなかったが

条件の良い日には素晴らしい青色の景色が目の前に広がる。

そんな景色を知っているので、諦めきれずにあたりをうろうろして

橋を渡る頃には青空ものぞきはじめるまずまずのお天気になった。

トンビが押し戻されるほどの強い風が吹いていて

そんなときにこの橋をバイクで渡るのは少し怖い。

あまり景色も見ずにまっすぐ前を向いたまま渡った先のビーチでは

気の早い海水浴客が嬌声をあげていた。

梅雨の中休みを利用して出かけたツーリングから帰って

撮ってきた写真をPCの画面の中に広げてみる。

思った通り、海の色は今ひとつパッとしなかった。

ふと思いついて画像処理のソフトでいろいろと遊んでみた。

OLYMPUSのカメラはアートフィルターも使えるし、

Picasaには簡単に使えるいろいろなエフェクト機能がある。

デジタル画像をいろいろと弄って遊ぶことにはいろいろな意見もあるだろうけど

僕はエフェクトをかけて遊ぶのもありだと思っている。

今日の写真はPicasaでオートン風というのを選んでみた。

ちなみに前のエントリーの写真もこのエフェクトで

さらにひとつ前のエントリーの写真はシネスコープというエフェクトがかかっている。

ふふふ…、カメラ遊びはなかなか止められないねぇ…。

天災2012/07/12 22:30

湯治の街
OLYMPUS XZ-1
i.ZUIKO DIGITAL ED6-24mmF1.8-2.5
撮影場所:山口県長門市俵山温泉




梅雨末期の大雨が続いている。

九州では「これまでに経験したことのないような大雨」が降ったそうだ。

テレビのニュースが土砂災害や河川氾濫の様子を生々しく伝えている。

思えば3年ほど前、我が街も大雨の災害で知名度が全国区まで上がったことがある。

ほんの日常圏内まで土砂が押し寄せてきて幹線道路は半年ほど通れなかった。

幸い僕は直接災害に遭うことはなかったけれど、

会社の同僚の中にはぽつぽつと避難生活を強いられるものもいた。

3年の間におおかたの復旧作業も終わり、

表面がきれいになればそのときの怖さももう忘れかけている。

九州の災害のニュースにも胸は痛むが、決して自分に火の粉の降りかからない

対岸の火事のように思えるのも偽りのない気持ちだ。

災害の記憶といえばあの2011.3.11。

津波の映像に息をのんだあの日の記憶は

あれほどの衝撃を受けながらも、もう過去のものになりつつある。

未だに避難生活を余儀なくされている方々が居られる事実を知りながら、

記憶はもう過去のものになりつつある。

そんなこの頃、我が社にも放射能除染作業応援の依頼があったようだ。

僕のような事務屋が役に立つことはないだろうが、もし話があれば聞いてみたいと思っている。

ほどほど2012/06/12 20:27

かきつばたの里
OLYMPUS XZ-1
i.ZUIKO DIGITAL ED6-24mmF1.8-2.5
撮影場所:広島県北広島町八幡高原




頭が痛くなるほどの眼の疲れに悩まされている。

眼科に掛かってみても特に悪い所もなく

今流行りの「ドライアイ」では?と専用の目薬を処方されるくらいのことだ。

先日、別件でめがね屋に寄ったときにそんな話をしてみると

「これを掛けてみてください」と黒い丸縁の眼鏡を渡された。

レンズを差し替えて見え方を測るお馴染みのやつだ。

掛けてみると、なるほど目に優しい感じがしないでもない。

どういうからくりか聞いてみると少し度を落とした単焦点のレンズだそうだ。

今、外で掛けているのが「遠中」と呼ばれる累進焦点のレンズ、

仕事でパソコンを見るときに掛けているのが「中近」と呼ばれる累進焦点、

どちらも言い古された表現をすれば「境目のない遠近両用めがね」というやつだ。

振り返ってみると老眼が始まってから目まぐるしく見え方が変化するようになり、

それに戸惑って勧められるままに最初は「近くも遠くも見える」眼鏡をつくって

それでも見えにくくなって「外用」と「内用」の二つの眼鏡を持ち歩くようになり、

挙句の果てに「見えすぎて」頭痛がするほど目が疲れて…。

で、試してみたその眼鏡、運転に支障のないほど遠くが見えて

なおかつ、新聞の文字もそれなりに読める。

両方とも「ほどほど」に見えるのである。なんだか「ほっと」するような感じの見え方なのだ。

うーん…。

もうそろそろ、無理をせず「ほどほど」に生きていくのがいいのかもしれないな。

例えばカメラだってそうだ。

カリカリにシャープな描写でなくとも味のある写りが得られるレンズもいい。

もちろんバイクだってそうだ。

最高速はそれほど出なくてもエンジンの鼓動感が楽しいパラレルツインもいい。

絶対的な性能よりも「持ち味」を重視すればいいのだ。

そんなことはとっくの昔に理解しているはずのことで、

趣味の世界ではそんな物の選び方をしているはずなのに…。

その日は「検討してみましょう。」と言って店を出た。

今持っている眼鏡はふたつともその店で作ったもので

そのときの見え方に合わせてベストな調整をしてくれる腕のいい店員もいる。

だけど、その「味のある」見え方をするレンズに交換するのはもう少し考えてからにしようと思った。

何となく、ただ何となく「ほどほど」を認めたくないような、

根拠のない「じたばた」をちょっぴりしてみたい気分だったのだ。

中年男子の心情は意外と複雑なのである。

2012/01/05 22:26

父娘
OLYMPUS XZ-1
i.ZUIKO DIGITAL ED6-24mmF1.8-2.5
撮影場所:京都府宮津市天橋立




2011年の「今年の漢字」は「絆」だったそうだ。

人と人は信頼の絆で結ばれていて

そして寄り添い、支え合って生きてゆくもの…。

初詣の参道を歩く父娘の後ろ姿 を見ながらそんなことを考え

そしてこの後ろ姿を少し羨ましく思った。




今年はどんな漢字が選ばれることだろう。

良い年になりますように…。

水戸黄門2011/12/21 20:49

形あるものはいつの日にか…
OLYMPUS XZ-1
i.ZUIKO DIGITAL ED6-24mmF1.8-2.5
撮影場所:岩国市錦町大固屋




水戸黄門の最終回を見た。

これが本当の最終回ということだ。

歴代の格さんや助さん、その他懐かしい顔ぶれがたくさん出演していて

これで見納めかと思うと何だか涙が出そうになった。

庶民を苦しめる悪い役人を黄門さまが懲らしめるワンパターンの筋書き、

最後に乱闘があって印籠を見せて「へへーっ」とひれ伏して

悪いやつが黄門さまに怒られるという展開、

これほど安心して?見られるドラマは他にはない。

僕にとっては心の拠り所、と言っては少し大袈裟に過ぎるけれど

終わってしまうというのは本当に寂しいかぎりだ。

師走雑感2011/12/15 21:08

静と寂
OLYMPUS XZ-1
i.ZUIKO DIGITAL ED6-24mmF1.8-2.5
撮影場所:防府市東大寺別院阿弥陀寺




いつの間にか12月も半ばを過ぎ、さほど忙しかったわけでもないのに、

この記事が今月初めての更新であることに気がつき少しびっくりしている。

もう冬景色だろうと思って訪れた近所のお寺はいつもの通りひっそりとしていて、

そして意外にも山門のところにある紅葉はようやく赤くなり始めたところだった。

山門をくぐったところにはお地蔵さまがふたつ並んでいて空の一点を見つめている。

その視線の先を追うように振り返ると、山門の額縁越しにこじんまりとした我が街が見えた。

瀬戸の海に向かって開けた小さな街の向うに赤白縞模様の煙突が3~4本、

てっぺんから煙を吐き、その白い煙が風になびいている。

ここから見る街並みは、きっとそこにあるであろう年の瀬の慌ただしさを感じさせることもなく、

風が吹いていることが感じられるだけの景色だった。

やはりここから見えるのは風の景…。

その風景を見つめるお地蔵様の表情はいつ来ても変わるわけではない。

鎮守の杜2011/11/28 22:22

鎮守の杜
OLYMPUS XZ-1
i.ZUIKO DIGITAL ED6-24mmF1.8-2.5
撮影場所:山口市徳地




紅葉のシーズンも終盤を迎え、

目にする風景にも初冬の趣が感じられるようになってきた。

そんな季節のある穏やかな休日に、

小さなバイクに跨って秋の名残を探しに出かけた。

何日か前には急に真冬のような寒さになったのに

この日は小春を想わせる陽気に戻っている。

厚着をしてきたのを少し後悔しながら田舎道をポコポコと走っていると

田んぼの真ん中に鎮守の杜があるのが見えて少し寄り道をしてみた。

遠くから見れば鬱蒼とした森に見えるこの場所は鳥居をくぐってみると

中はぽっかりと広場のような空間になっていて

その片隅に小さな社がある。

その前で頭を下げて手を合わせ、その後に廻りを見まわし、

最後に空を見上げてみた。

見えたのは薄曇りの穏やかな秋の空だけだったけど、

その空の中に神様の視線を感じたのは

決して気のせいではなかったと、僕は今思うのだ。