街角の異風景2013/06/03 22:13

街角の異風景
OLYMPUS STYLUS XZ-10
i.ZUIKO DIGITAL ED4.7-23.5mmF1.8-2.7
撮影場所:北九州市小倉魚町




家から一番近い百万都市北九州、

その中心にある小倉の街には幾度も来たことがあるが、

いつも都会の表面のきれいな部分だけしか見てはいない。

日本で一番最初にアーケード街ができたという歴史を持つこの街には

少し寂れていて、少し汚くて、でもどこか懐かしく惹きつけられる場所が存在する。

そんな場所をカメラ片手に歩いていると、どんどん深い所に引き込まれて

自分がいる場所が路上なのか、それとも建物の内部なのかすらわからなくなることがあって、

気がつけば路地裏の小さな店に入って飯を食っていたり

売り子のおばちゃんに声かけられて普段なら覗きもしないような店先を冷やかしてみたり

そしていつの間にか時を飛び越えてその空間に遊んでいる自分にあきれてみたり…。




歩いたり食べたり撮ったり座ったり…。

いろいろな形に変化することはあっても、僕のひとり遊びの原点はここにある。

そして、こんな遊びの相棒に持つカメラはもう少し筋肉質なほうが良く

この日も幾度かシャッターを切り損ねて悔しい思いをした。

これはけっしてXZ-10が悪いカメラだということではなく

手持ちのカメラの中ではこのカメラが一番用途に合ってはいたのだ。

が、少し敏捷さが足りない印象が残った。

もちろん、カメラを換えたところで撮れる写真に大した違いはない。

楽しく遊べるかどうかが重要なのである。

水無月の闇に羽ばたく2013/06/09 21:42

水無月の闇に羽ばたく
OLYMPUS E-5
ZUIKO DIGITAL ED 70-300mmF4.0-5.6
撮影場所:宇部市常盤公園菖蒲苑




例年より早く梅雨入り宣言が出されたと思えば

その後さっぱり雨が降らず、「もう中休み?」と呆れていた この週末、

降らないならバイクにでも乗るかねぇと思っていた矢先に雨の予報が出た。

何も日曜日に降らなくても…、と恨めしく思うのは僕がバイク乗りだからだろうが

まったく降らないのも心配なわけで、他の季節に比べれば諦めもつけやすい。

「水無月」とは暑さで水が枯れるから「水の無い月」なのだとか

「無」は「の」の意味をあらわしていて本当は「水の月」という意味を持つのだとか

諸説あるようだが、僕にはどれが本当なのかよくわからない。

少なくとも六月の梅雨の時季には雨が主役というイメージがあるから

水の無い月というのはおかしいとは思う僕は、実はそんなことはどうでも良くて

六月には花菖蒲とあじさいが花開くという事実が大切なのである。

ただ、この花菖蒲の紫系の色はカメラが再現を苦手とする色のようで

これは私が使っているカメラだけかもしれないのだけど

どうも見たような色が出た試しがない。

そのうちに色の再現は完全に諦めてしまって撮影にも遊びが混ざってくる。

花びらの付け根の黄色い部分をスポット測光で狙うと

闇に羽ばたく白い蝶の群れのような構図になって

どんどん本来の撮影意図から外れた遊びにのめり込んでゆくのである。

写真という言葉は「真を写す」と書くわけだが

実は目で見た真実とは大きくかけ離れた絵を創るのももなかなかおもしろいものだ。

例えば明るいレンズで前や後ろに大きなボケを創ってみたり、

測光で背景を闇に変えてみたり、

現実にはありえないような色を再現したり、

こういった遊びはやはりコンデジの手には余るわけで

重い一眼レフをぶら下げてしばし遊びに興じることになる。

ところが何年か前から実は私の花菖蒲はいつもこんな絵ばかりだ。

思いついた遊びにわりと執着する癖があるのか、

あるいは他の遊びを考え出す能力に欠けるのか、

おそらく後者に間違いはないのだが、このことを自分でも少し残念に思っているのは事実だ。

そのくせ性懲りもなく同じような写真を毎年撮り続けるということは

そこがアマチュアカメラマンのお気楽なところで、

趣味なんだからそれでもいいと理由付けして納得しているのも

自分のことながら可笑しさを堪え切れない。

水無月の闇に羽ばたくのは我が貧弱な感性なのか?と考えるわけである。

水涸月2013/06/16 10:05

水涸月
OLYMPUS STYLUS XZ-10
i.ZUIKO DIGITAL ED4.7-23.5mmF1.8-2.7
アートフィルター:ドラマチックトーン
撮影場所:下関市豊田町豊田湖畔




朝から久しぶりの雨模様だった。

空はどんよりと暗く、そして地に触れそうなほど雲が低く垂れ込めている。

久しぶりに土曜日曜と行事の予定がなく羽が延ばせると思っていた週末だったが、

思わぬ予定が入り、土曜日の午前中がそのことに潰れた。

潰れた時間を取り戻そうと午後からはいつものように気ままなひとり遊びに興じる。

海沿いの道を走ってあじさいの花で有名な寺を訪れてみた。

雨の降らない梅雨にもかかわらず、いつもの年のようにあじさいの花がきれいに咲いていた。

朝方降った雨に濡れて花も少しは瑞々しさを取り戻したのだろうか?

ふと空を見上げるといつの間にか垂れ込めていた雲がなくなっていて

空はずいぶんと高くなり、ところどころに青空が見えている。

海のほうに目をやれば雲に置き去られたような海霧が海面から立ち昇り

北からの風に吹き上げられるように斜面を駆け上がってくる。

漁火が見えることで人気の棚田の先に見えるはずの海は

立ち込めた霧にかすんで幻想的な光景を創りだしていた。

この幻想を写真に収めようと何度かシャッターを切ってみたけれど

帰ってモニターに映せば見てきたほどには写っていないのは毎度のことだ。

空梅雨と呼ばれる今年の梅雨も半ば…。

久しぶりに瑞々しい光景を見ることができたと喜びながら

帰り際に立ち寄ったダム湖の水は干上がっていて

前に調べた水無月の意味はどちらもありかなと思いだす。

少し先の川べりには蛍船が夜の饗宴を待ちながら静かにそこにあるのだった。

あなごのねどこ2013/06/25 23:41

あなごのねどこ
OLYMPUS STYLUS XZ-10
i.ZUIKO DIGITAL ED4.7-23.5mmF1.8-2.7
撮影場所:尾道市中央商店街




先日、尾道の街を訪れる機会があって

少しだけ行列に並んで有名店の尾道ラーメンを楽しんだ後

せっかくだから少し街をぶらぶらしてみようかという気分に誘われるままに

商店街を冷やかして歩いた。

カメラを片手にきょろきょろしながら歩いていると

古びた様子のカフェがあってその横に「あなごのねどこ」という

手書きの看板がかかっている。

人がすれ違おうと思えば両方がカニのように横歩きをしないと出来ないような

狭い路地があって、この路地からは横にあるカフェの中の様子がよく見える。

中を覗けば意外にも満席に近い客で埋まっていて

その賑わいの様子がなぜか僕の記憶の底を刺激するのである。

その訳をぼんやりと考えていたときにはっと思い当ったのが

この光景、木造校舎の廊下の窓から

休み時間の教室の中を覗いた様子によく似ているということだ。

そして廊下の部分であるこの路地、道なのか建物の一部なのか

よくわからないほど暗くて奥が深いのである。

先客が道を塞いでいたので深追い出来なかったのが残念で仕方がないが

帰って調べてみると、芋づる式におもしろそうな情報が見えてきたのである。

前にも書いたように尾道の街は泊まりがけで歩きまわったことがあるわけだが

ここでもまた都市の表面しか見えてなかったことに気づく。

たぶん一日では廻りきれないほど深い世界があるだろう。

再訪するのが楽しみだ。

そのときに持ち歩くカメラをどれにするかを考えるのもまた楽しみのひとつである。